雑記

途上国で死について考える(雑記)

正直この話を書くべきか迷ったけれど、このブログを自分の思考や感情の記録にしたい面もあるので今通常よりセンチメンタルな自覚はあるけど思いのままに書き綴ってみる。

先日、前任国であるアフリカ時代の知人が交通事故で亡くなったと知らせを受けた。
亡くなった方と私はすごく親しいというわけではなく、私の親しい友人の友人で何度か会って話したことがある関係性だったけど、自分も国は違えど途上国にいるからか一報を受けてから知人の死についていろいろ考えてしまった。

事故に遭い状態が危ないという連絡を受け、それからしばらくして亡くなったという連絡を受けたとき、思わずこれが先進国なら彼女は助かったのだろうかと考えずにはいられなかった。事故の状況など全く知らないし、もしかしたら国が違っても結果は変わらなかったかもしれない。

前任国で驚いたことの一つとして、交通事故の多さがある。
日常でも、ちょっとした交通事故や事故未遂など含めたら毎日1件は見たんじゃないかというほど日本と比べものにならないほど見かけたし、特に地方出張などで長距離移動する際はほぼ毎回横転したトラックや道の真ん中でタイヤが外れてスタックしている大型トラックなど死傷者が出ていてもおかしくない、日本ではニュース映像でしか見たことがないような事故を見かけた。これらを経験を通じて、割とこの国に来た初期に日本にいるときと比べて私は死に近いのだなと感じた。そして、途上国のリスクとして強盗やスリなどの軽犯罪、そして病気などもあるけど確率的に私の身に何かあるとしたら交通事故だなと強く思ったし、特にペーパードライバーなのにアフリカで運転することになった身としては本気で交通事故被害者だけではなく加害者になってしまわないかも不安だった。

実際、事故/事件にあった話も日本にいる時より遥かにたくさん聞いた。
同僚の子供が通う学校で、校外学習のバスが交通事故にあい同僚の子供の同級生が多数亡くなって子供が落ち込んでいるという話や、同僚が就寝中強盗にあって牛刀で脅されて幸い命は助かったけどスマホや現金など盗まれという話。そしてさらに驚いたのはその強盗にあった話を聞いていると、他の同僚が集まってきて自分や周りの人の強盗にあった経験談を話し始めたこと。日本で地震にあったのと同じくらいの感じで、強盗被害あるある(ひったくりというレベルではなく、家に武装した人が侵入してきて金銭を奪うという類の)を話していて、近所の人は強盗にあって殺されてしまったみたいな話をしている。
こういった会話を聞きながら「あぁ、人は死ぬのだな」と改めて実感した。
もちろん人はいつか死ぬことや日本で不慮の事故に遭う可能性はわかっているし、日本にいたときから明日死んでもいいくらいの気持ちで生きたいと思っていた。
ただその、死んでしまうかもしれないという確率が途上国にいると日本と比べ物にならないくらい高い。

事故に関していうと、車の整備のされてなさや運転の無謀さによって事故の確率も違うが、なんといっても医療の質の差がある。
詳しくは忘れてしまったが、私の任地の医療レベルは、日本で例えると昭和一桁レベル(?) 死亡原因や平均寿命、5歳未満死亡率等でいうと私の祖父母世代くらいだと聞いたことがあった。実際、任国で可能な治療は限られているため病院にかかるために南アフリカやヨーロッパに搬送される可能性があった。同じような交通事故に日本であったら適切な治療が受けられて助かったかもしれないのに、国や場所が違うと生死が左右される。

うまく表現できないが、日本だと事故/病気に遭うことと「死」は直接結びついておらず「死」は少し遠い存在のように感じていた。
ただ、途上国にいると事故や病気と死は直結しており、死はある日突然誰にでも起こりうるもので、命は儚いのだなと強く感じる。なんというか、私が不幸にも途上国で亡くなることになっても「私の番か、運が悪かったな」というように感じうるような。もちろんこんなふうに割り切れないし私は今バリバリ生きたいのだけれど。

交通事故だけではなく、ちらほらexpat(外国人として自国外で働いている人)がマラリアやデング熱で亡くなる話も聞く。
マラリアで命を落とす人なんて毎年50万人以上いるので珍しい話ではないはずなのだけれど、なんというか(国や立場にもよるだろうけれど) アフリカにおいてexpatとローカルの生活は異なり、いろんな「外国人御用達」のものがある。
平たくいうと少し特権的な立ち位置にいがちであり、医療においても一部のお金持ちな国民や外国人御用達の病院でその国の一般的な国民には手が届かない医療を受けれることもあるが、限界はあり外国人だからといって死から逃れられるわけはもちろんない。
こんな当たり前のことを書いているのは今回の件でいろいろ考えた際に、亡くなった知人がexpatかローカルかで私が感じることは変わったのだろうかと思ったからである。
例えば途上国で働いている日本人が不慮の事故で亡くなった場合、同じ事故にあっても日本だったら助かったかもしれないのにと考えてしまうが、ローカルの場合自国なのだからしょうがないと感じたのだろうか。
死は誰にでも訪れるけど、いろんな条件が違えば防げた死は残念ながらある。

上記のようなことを考えながら、今日死ぬかもしれない精神で命あることに感謝して全力で生きて、そして私の周りの人が生きていることも感謝して一緒に過ごせる時間を大切に生きようと改めて思った。

前任国を離れるときにまた世界のどこかで会うかもねと話していて、その可能性は決して高くはなかったが、完全なる0になってしまうなんて最後に会ったときには思ってもいなかった。私よりたった2歳年上の素敵な人だった。Rest in peace, L.